はじめに

  1. パーリ語とは
     パーリ(あるいは)というのは国や地域や民族の名前ではなく、 「聖典」という意味です。 もっとも、「パーリ」の本来の意味は「聖典」ではなく、 「外耳、線、列」などの意味であり、 後に仏教聖典のことをそういうようになったということのようです。 ともあれこの言語は、 スリランカ、ビルマ(ミャンマー)、タイ、 ラオスなどに伝わった南伝仏教の聖典に用いられている言語です。
     インドの言語というとサンスクリット(梵語)が有名ですが、 サンスクリットがその「完成された、洗練された」という名のとおり、 人工的に磨きのかけられた文語であるのに対して、 より俗語、日常語に近い言語のことをプラークリットと呼びます。 プラークリットの中にも数々の言語がありますが、 原始仏教の膨大な聖典に用いられたパーリ語こそが、 文献の多さでは他のプラークリット諸語を圧倒しています。
     従来は釈尊(ゴータマ・ブッダ)が説法した言葉こそこのパーリ語であると考えられていたこともありますが、 実際には西方インドで話されていた言語のようです。 とはいえ、釈尊のいたマガダ国の言語の特徴もいろいろ含んでいるなど、 さまざまな要素が混入した言語です (そのせいか、語形変化表が非常にごちゃごちゃしています)。
     サンスクリットに比べて俗語に近いとはいえ、やはり古典語、現在では死んだ言葉ですが、 南伝仏教諸国では非常に重要視されており、僧侶を中心に学ぶ人も多く、 これらの諸国の僧侶がお互いに意思の疎通をするのに使われたりもします。 豊富な造語力を利用して近現代の語彙も作られており (飛行機=、汽車=など)、 その意味ではまるきり死語ともいえません。


  2. 文字
     もともとはインドの文字で書かれていたのでしょうが、 インド本国では死滅したので、インドの文字で書かれることはありません。 現在ではインドの文字であるデーヴァナーガリーで書かれることもあるようですが、 それはあくまで「逆輸入」といえます。
     パーリ語の聖典は南方仏教諸国によく保存されていますが、 スリランカではシンハラ文字、 ビルマではビルマ文字、タイではタイ文字、ラオスではラオス文字と、 それぞれの国の文字で表記されています。 その意味ではパーリ語には固有の文字は存在しません。 19世紀以後はヨーロッパ人の学者たちによってローマ字で表記されるようにもなりましたが、 ローマ字だって立派なパーリ語の文字というわけです。 このサイトでは、トップページのタイトルや「今日の一言」で、 お遊び、装飾としてシンハラ文字やビルマ文字を用いていますが、 原則としてローマ字で表記していきます。
    なお、なぜパーリ語の聖典が各国それぞれの文字で表記されているかわかりますか。現代人には想像もつきませんが、大蔵経を註を含めて全部暗記している人はいっぱいいます。そのように、聖典は文字ではなく音声として口から口へと伝わったのです。それが後にさまざまな理由(疫病が流行して聖典を覚えている僧侶が多数死んで、このままでは伝承が絶えてしまうというので文字化した、など)で文字化されたので、それで各国の文字で書かれたというわけです。文字として伝わったのなら、たとえばシンハラ文字→ビルマ文字変換などという面倒くさくミスの発生しやすい作業をするはずがありません。


  3. サンスクリットの知識は必要か?
     日本は大乗仏教圏なので、 仏教研究者はサンスクリットをほとんど必修で勉強することでしょう。 サンスクリットをとばしてパーリ語だけを勉強する人は少ないと考えられます。
     サンスクリットの知識があるとパーリ語の勉強は非常にラクです。 文法にしろ語彙にしろほとんどすべての項目が、 「これってサンスクリットのあれに当たるんだな」ということが、 一見してすぐわかることでしょう。 だからサンスクリットの知識を援用してパーリ語を勉強することは非常に効率的です。
     とはいえ、サンスクリットは不要でパーリ語だけを勉強したいという人もいるのではないでしょうか。 そういう人にとっては、いまの日本のパーリ語勉強の環境はとても難儀だと思います。 いまの日本でパーリ語の参考書といえば、 水野弘元『パーリ語文法』が実質的に唯一となっていますが (→参考書・辞書)、 詳しすぎて入門向きではなく、 なにより、サンスクリットと対照した説明が多すぎて、 サンスクリットを知らない人にはハードルが高すぎます。 これからは、サンスクリットの知識が一切ない人でもわかるような初等文法こそが求められるのではないでしょうか。
     とはいえやはり、サンスクリットを知っている人には、 サンスクリットと対照した説明が非常に効果的であるのも否定できません。
     そこでこのコーナーの各ページは、 一切サンスクリットの話をせずに書き始め、 サンスクリットだとこうなる云々という話は下のほうに隔離することにしました。


  4. 演習問題について
     以下、文法項目を解説しながら、時折訳読演習問題を入れていきます。 文法項目は、頭から覚えようとしても覚えきれるものではなく、 実際の文章に体当たりしながら自然に覚えていくのがいいと思うからです。
     演習問題のこなし方は、演習のやり方を見てください。


  5.  このコンテンツを教室などで教材として使用することはいっこうにかまいません。 無許可でやっていただいて結構ですが、 できればご意見(使用した上での改善提案や間違いの訂正など)を賜るとうれしいです。