Since 2005/4/16 Last Updated 2005/6/22
せっかく作り終えたゴンダ文法(J.ゴンダ『サンスクリット語初等文法』)の練習題解答例であるが、 諸事情あって部分公開の形にとどめることにした。 もちろん廃棄したわけではないので存在はしている。 入用の方にはご提供する用意があるが、 その際の条件として、 このような「模範解答」に関する私の考えをご一読いただき、 それに賛同していただける方にのみご提供するということにした。 できるだけ手短に書くが、それでも長くなると思う。まあ、お付き合いを願いたい。 なあに、難しいことではない。 要するに「勉強をサボる目的で安易に使っちゃイカンよ」ということだ。 私にいわせればそんなことは当然すぎるほど当然のこと、 ほとんどの人には賛同いただけるのではないかと思うんで、 どうしても急ぎの人は読み飛ばしてこのページの一番下に飛んでもらってもいいんだけどね。 「教科書の答えを出回らせちゃ困る」というのが教師の立場であるとすれば、 「自習したいから答えをよこせ」というのが学習者の立場である(とりあえず「ラクに単位がほしいから答えをよこせ」というのは置いておく)。 この両者の立場はどちらも一理あるものであり、 おそらく永遠に折り合うことはないのだろう。 私はインターネットの語学学習サイトを作っているのだから、 当然「学習者の立場」に立つ。 以下ももちろん、学習者の立場に立った「答えは必要だ!」宣言である。 語学教材には教師の指導を大前提とする「教科書」と、 自習を大前提とする「参考書」の2つのタイプがある。 本来はどちらもそろっているのが望ましいのだが、 サンスクリットのようにマイナーな言語の場合は教材全体の需要がそもそも少ないので、 両方のタイプがそろうというのは今後も望めないであろう。 昔ならともかく、 あげてサービス至上主義のご時世、 今じゃ答えのない参考書を出すなどという企画を出版社が通すはずもなく、 たとえ「もともと答えがない参考書の翻訳ですから」という企画であっても、 「じゃ独自に答えをつけてください、でなきゃ売れません」ということになるのは明らかである。 だから、教材を自作するなら別として、 市販書籍を教材に使うからには、 教師は「答えは当然ついているもの」ということを前提に授業の工夫をすべきであろう。 さて、サンスクリットの参考書はそれなりに種類が増えてきた。 もちろん最近出る参考書で練習問題がついているものは、当然答えがついている。 そんな中にあって答えのないゴンダ文法は、教科書としての性格を強めているかもしれない。 「自習したいならほかのを使ってくれよ。 ゴンダは教科書なんだ。答えなんか出回らすな」という意見が説得力を持つかもしれない。 しかし私は「ゴンダは(答えをつければ)自習参考書としてもすぐれている」と思う。 それは決して日本語版の出版元である春秋社のサイトに「初心者が独学できるように配慮されている」って書いてあるじゃないか、 とかいうセールストークを根拠にしているのではない。 他の参考書は、何冊もの分冊になっていて分量が多すぎたり、 練習問題が少なすぎたり、 カリキュラムが文法順でなくて全体が見えにくかったり、 いきなりデーヴァナーガリーを使ったりと、 学習書として問題のあるものが多い。 分量の適切さでも、カリキュラムや問題の難易度などの内容面でも、 ゴンダにかなうものがないのだ。 昔はゴンダしかなかったから答えのないゴンダでふうふうがんばるのが唯一の自習の道だったが、 他の本がいろいろ出た今となっても、入門教材としてのゴンダの地位はゆるぎない。 ゴンダで自習ができれば、これが一番の王道なのだ。 では、仮にゴンダを教科書に使っているクラスの学生が答えを持ったとして、 それは有害だろうか。必ずしもそれはいえないと思う。何しろ私がそうだった。 私はこのサイトの立ち上げ(2004年2月)から約1ヶ月間でゴンダ文法の練習題の1〜12ぐらいまでを一応やり終えたが、 13に入る辺りでどうにも自分では歯が立たなくなり、 ゴンダ文法をテキストにしている某所の授業を受講することにした。 が、その授業にしたところで最初からはじめるわけだから、 なかなか練習題に入らず、8まで行ったところで夏休み。 結局私がつまずいたあたりの授業をやったのは11月の上旬、 なんと9ヶ月もあとになってからだった。 これだけ間があいてしまうと、 「何に私はつまずいたのか」すら忘れてしまうという有様であった。 おまけに実はこの間に、当サイトの読者からゴンダ文法のノートをお借りすることができ、 夏休み中に練習題はすべてやり終えてしまった。 答えが手元にあるので自分のつまずいたところをすぐに確認することができ、 かなり力がついた。 おかげで休み明けには、他の人が動詞の現在語幹の活用をやっているときに、 個人的にヒトーパデーシャやパンチャタントラなどの文章にトライすることができるようになっていた。 クラスの進度がいろいろな事情で個々の学生に合わないことはよくあり、 力のある学生には答えを与えてどんどん先までやらせてしまうのがよい。 そして疑問点はすぐその場で解決すべきであり、 そのためには答えは必要なのである。 通常、大学の90〜100分1コマ週1回のペースでは、 ゴンダの練習題を終えるのに1年たっぷりかかってしまうが、 私の経験からして最初から答えを手元において集中的に自習すれば、 ゴンダの練習題は2〜3ヶ月ぐらいで終わる。 初等文法のマスターにはちんたらと時間をかけるべきでなく、 このくらいの短期間で終えるのが望ましい。 ゴンダ文法の訳者・鎧先生も、「春秋」1996 8・9月号に書いた『サンスクリット語初歩の学習法について』の中で、 短期間に初等文法を終えるべきであることを説いているが、 そのためには、意欲のある学生に答えを与えてどんどん自習させるのが何よりである。 こういうと「それは意欲のある学生の話であって、クラスには意欲のない学生も多く、 そういう人が答えを最初に見てしまうのは有害だ」という反論が当然返ってこよう。 しかし、言わせてもらえば、意欲のない学生は何をやってもダメなのであり、 あの手この手でなまけようとするものである。 答えがなかったら先輩のノートをコピーするだけである。 逆に、意欲はあるが本当に学力のない学生には、 答えを見せてしまって変化表を確認させるなど、 答えがあればいろいろな工夫ができるというものである。 答えと並んで目の仇にされるのが、便利な道具の類である。 小学生に電卓を禁止するノリで、 高校生に電子辞書を使わせない英語の先生もずいぶんいるようだ。 だからついでにこれらに関する私の見解を書いておく。 電子辞書は大いに使うべし。 検索のスピードが全然違って効率がいいし、 末尾一致検索だの何だの、紙媒体では不可能なことがいろいろできるのだから、 どんどん使うべきである。 欠点としては、書き込みができないとか、 調べる語の前後の情報(意外に役立つ)を見落としがちということがあるが、 そういう欠点を補うような検索法を工夫するという積極的な姿勢で臨みたいものである。 あとはBucknellの『Sanskrit Manual』のような「便利すぎる虎の巻的参考書」も目の仇にされることがある。 実は私も動詞の変化がわからないときによく利用した。 が、だからといって力がつかなかったかといえば逆である。 動詞の変化は不規則なものが多く、なかなかゴンダや辻文法だけでは調べられない。 そういうときにはこの本でも何でも利用して、ともかく頭から覚えてしまうのがよい。 上にも述べたように、疑問点はすぐに解決したほうがいいのである。 できる限り手短に書いたつもりだがそれでも長くなってしまった。 答えの完全公開を控えたとはいえ、日本語訳は全部公開した。 これでもないよりはましだろう。 ただ、随所に落とし穴はある。 正しく訳せたからといって理解が正しいとは限らない。 たとえばで終わる能動態現在分詞単数処格を、 うっかり能動態現在単数3人称だと思ったとしても、 見かけ上は「正しい訳」になってしまう。 自習者の場合は誰も間違いを直してくれる人がいないのでこれは危険である。 やはり詳細解答が必要であろう。 そんなわけで、以上の私の見解をご一読の上で、「やはり詳細な答えがほしい。それが私の勉強の上でプラスになるはずだ」と確信した人には、詳細解答を提供しよう。当サイトには「まんどぅーか友の会」という、入手の困難な学習資料をPDFなどで閲覧する会員組織がある。詳細解答は会員専用の友の会ページに移動したので、友の会に入会していただきたい。 友の会の趣旨および入会方法はこちらである。ご不便をおかけするが、 当サイトの設立趣旨に対する理解が得られるようになるまでは堪忍願いたい。 |
※ご意見、ご教示などは、に戻り、掲示板あるいはメールで賜るとありがたく思います。 (…が、この件に関してはたぶん私は考えを改めることはないでしょう)