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梵語俗説(2)・五十音図をめぐる話

Since 2004/8/27 Last Updated 2004/8/27


 さて、本題の「五十音図」の話。 これのどこがトンデモなのかについては少々説明が要る。
 サンスクリットやヒンディー語を勉強するときに、 デーヴァナーガリーの並び順を必ず覚えさせられるはずである。 サンスクリットはローマ字で勉強するほうが多いだろうが、 それにしたって語彙集はあたかもデーヴァナーガリーで書かれているかのように、 その順に並ぶから、順序を覚えるのはとても重要である。
 そのときに、こういう話を聞きはしなかったろうか?
 行、行、行…… (そして行の最後を指さして)ほら行、(そして行の最後を指さして)ほら、 そして、(をとばして)。 これは五十音図のカ行・サ行・タ行・ナ行・ハ行・マ行・ヤ行・ラ行・ワ行 という順序にとても似ているでしょう。 五十音図は実はインドの文字の順序に影響を受けているんです。 日本でも昔は悉曇学といって梵語の研究をしましたからね。
 え? のところがおかしい? それは現代日本語の音で考えているからですよ。 実はサ行は昔の日本ではツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォというような発音だったんです。 それからハ行は、少し前はファ、フィ、フ、フェ、フォであり、 もっと前はパ、ピ、プ、ペ、ポだったんです。 そう考えればおかしくないでしょう?
 五十音図の成立に悉曇学がかかわっていること自体は私も否定しない。 が、トンデモな部分は上記の下線を付した部分である。
 サ行の音価が昔どうであったかについては、 室町期にはシャ、シ、シュ、シェ、ショのような音であったことまではほぼ定説になっている。 が、それ以前がツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォだったというのは定説になっていない。 たとえそうだったとしても、この変化は5〜8世紀に起こったことである。
 同様に、ハ行の音価も、 室町期にはファ、フィ、フ、フェ、フォだったことまでは問題ないが、 昔パ、ピ、プ、ペ、ポだったかどうかは定説になっていない。 少なくとも文献時代には証拠がなく、 まともな学者なら遠慮して*paなどのように*(つまり証拠がなく再構成された音だという印)をつけるべきものである。 こちらも、たとえそうだったにせよ、8世紀よりははるかに昔の話である。
 余談になるが、私が学生時代、1984年だが、 ドントという懐炉のコマーシャルで桂文珍が原始人の格好をして、 「チャップイチャップイ(寒い寒い)、ドントポッチ(ドントほしい)」と言っていた。 聞いたことない? 今でも「チャップイ」を検索エンジンにいれると、 このフレーズのパロディや引用がいろいろヒットするよ。 このコマーシャルはサ行ts説とハ行p説をふまえているのかと、 国文の学生たちはうわさしあっていたものだ。
 一方で、五十音図の歴史は平安時代中期以後であり、 しかも古いものほど今の順序と異なる形になっている。 今の順序が確定したのは江戸時代になっての話である。 だからサ行とハ行の発音変化は、五十音図の成立とは無関係なのである。

 もちろん教育の場では多少のいい加減さも方便として許されるべきなのかもしれないが、 大雑把に「デーヴァナーガリーの順序は五十音図と似てるね」だけでいいじゃないかと思う。 現代日本語のサ行やハ行は、わざわざ発音変化などというものを持ち出さなくても、 濁音や半濁音にすれば行や行に対応させることが可能である。 余計なことをいってしまうと、それがトンデモ俗説の拡大再生産につながってしまうのだ。 現にいま、ちょっと検索エンジンで「五十音図」などと入れてみると、 出るわ出るわ、こんな形で引き合いに出して申し訳ないけど、 という具合。 それから町田和彦先生の『ことたび ヒンディー語』(白水社)のp.9にも 「サとハに当たる発音が大きく違うのは、日本語の現代の発音が昔と変わってしまったためです」 という、怪しげな記述が出てくるという具合である。

 では真相はどうなのか。 五十音図の成立については馬渕和夫先生の『日本韻学史の研究』が詳しいが、 昔の本、高価で入手困難な本、内容がかなりハードと三重苦なので、 同じ馬渕和夫先生の『五十音図の話』(大修館書店。ISBN4-469-22093-0。1993)がおすすめ。 一般向けの入門書だが、『日本韻学史の研究』以後の先生のお考えの変化も入っているので、 むしろ『日本韻学史の研究』よりいいかもしれない。 この本も決して読みやすくはないが、 エッセンスは「はじめに」のp.10-13にまとまっているので、 そこだけでも読むといい。要するに、
  • 五十音図の成立には、漢字音韻学と悉曇学の二系統がかかわっている。
  • 漢字や梵字の読みがわからない学僧たちが便宜的に発音を記したものが発展。
  • 梵語や漢語の原音の読み方がよくわからない中で、しかも「普遍的な音韻をあらわすもの」と考えられていた。
  • それが結果的に日本語の音韻を表す表として使えたのでそういう形で定着した。
ということになるだろうか。 要するに、 梵字の正確な読み方がわからず、 しかも日本語の音韻体系こそが世界的に普遍的に通用すると考える (積極的にそう考えるというより、違う音韻体系が存在するという自覚がない) 人々の所産だというわけなのである。
 このあたりの話をWEB上で正確に記述してあるものとしては、 五十音考(西野博二氏)がお勧めである。

 一般向けの話というのは難しいものである。 わかりやすく書こうとしてついついトンデモなことを書いてしまう。 たとえば岩波文庫の『古代国語の音韻に就いて』に収録された橋本進吉の軽妙な随筆『駒のいななき』もそうだ。 要旨は、日本で昔、馬の鳴き声が「ヒンヒン」などではなく「イ」を使って表されたのは、 昔の「ヒ」はfiのような発音だったからで、 「国語の音としてhiのような音がなかった時代においては、 馬の鳴声に最も近い音としてはイ以外にはないのであるから、 これをイの音で模したのは当然といわなければならない」(岩波文庫p.8) などと書いている。 下線部がいかにトンデモであるかは読者はおわかりだろう。 英語で馬の鳴き声をなんと書くかを思い起こせば十分である(neigh)。 この随筆は他の部分の事実関係にはウソがないのだが、 橋本進吉のような大学者にしてから、 こういうところでついつい勇み足をしてしまうわけだよね。


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