法華経15(2/4)
如来寿量品「自我偈」

※できる限り仏教専門用語訳を排して訳してみた。宗教・哲学的な意味はまったく考えていない。

♪そして後に私は彼らにこのように言う。
「私はまさにここにいる。ここから消えたことはなかった」
托鉢行者(比丘)たちよ、私の巧妙な方法の便利さというわけで、私は何度も何度もこの世界に現れるのだ。他の衆生は私を尊敬するので、私は彼らに最高の覚りを見せる。しかしあなたがたは私の声を聞かず、「かの世界の支配者がよそへと消えた」と思う。
私は衆生たちが苦しめられているのを見るが、私は自己の存在を見せない。衆生は私を見ることの渇望を非常に大きく熱望せよ。そうしたら私は正しい教えを示そう。
考えられない数百億カルパの間、この私の居場所は常にこのようであった。他の数千万の寝台や座席があったとしても、私はここグルドラクータ山から消えることはない。
たとえ衆生がこの世界を見て(地獄の火で)焼かれているとみなす時でさえも、そのような時でも私のこの仏の土地は、風神や人間たちでいっぱいである。彼らにはさまざまな遊戯と快楽があり、数千万の遊園、宮殿、天空をかける車がある。そして、宝石の山や、花や果実をそなえた木々によって飾られている。

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