[サンスクリットページ雑感集・技術情報]

梵語俗説(1)・閼伽=aqua

Since 2004/8/27 Last Updated 2005/3/15


 もともとこの話は、次の「五十音図」の話のマクラに使う予定だった。 「サンスクリットをめぐる珍説奇説は数あれど、閼伽=aquaというのはいまだに時々蒸し返されるトンデモ説である。それに勝るとも劣らないのが五十音図の……」という形で。しかし、全然違う話なんで、独立してここに書いておくことにする。

 「閼伽=aqua」説とはどういうものか、どこがどうトンデモなのか、誰が火元なのかについては
http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/200304
の2003/04/22の記事が見事にまとめているとおりで、いまさら私が付け加えることは何もない。ただこのページ、全体的にはサンスクリットとも国語学とも関係ないページだし、将来的に永続しない可能性もあるかもしれないので、ここにエッセンスだけまとめておく。つまり、
  • 伝説:「閼伽」(仏前に供える水)はラテン語のaqua(水)と同語源である
  • この言葉はサンスクリットのargha(価値)ないしarghya(価値ある)であり、「価値ある人にささげる水」という意味から日本語の「閼伽」になったが、一般的に水を意味する言葉ではない。
  • 出所はおそらく山中襄太郎(ママ)「地名語源辞典」(東京:校倉書房,1968.9-1979.12)
  • 学習用古語辞典や英和辞典にも紹介されたので、いまだに信じている人も多く、時々思いついたように蒸し返される。
というものである。
上ページに紹介されているわけではないが、私がみつけた蒸し返しの例としては、橋本治『絵本・徒然草(上)』河出書房新社(1993) pp.84-85(第11段の註)など。


 何を隠そう私もこのトンデモ説の洗礼を高校生時代にうけた。聞いたときには目の前に光がさし雄大な光景が見え涙まで流れたものだ。「なんと気宇壮大な話だろう。仏教の言葉がヨーロッパのラテン語とも通ずるなんて!」…… 例のW・ジョーンズの1786年の講演「インド人について」(サンスクリットとギリシア語やラテン語とが同じ源から発した可能性を示唆したもので、比較言語学のスタートとなった、あの有名な講演である)をきいた聴衆の感動もこんなものだったに違いない。
 その時の感動がいまだに尾をひいて、こうしてサンスクリットの学習サイトを立ち上げる原動力になっているわけだから、トンデモ学説の怪我の功名といえるのかもしれない。

 短くてお粗末。本当はこの話はただのマクラなのだった。では次の五十音図の話へ……。
 なお、上にリンクしたサイトでは「閼伽=aqua」説の出所を、山中襄太郎(ママ)「地名語源辞典」としているが、実際の著者名は「山中襄太」である。「郎」はついていない。
 しかも、当サイトの読者のご指摘を賜ったのだが、この本の1年前に出た岩田一男『英単語記憶術』(1967。光文社)にも同様の記述がある。この本はいわゆるカッパ・ブックスの中の一冊で、当時かなり売れたらしいので、たぶん火元はこっちだろう。山中襄太氏が岩田氏の本を見てこう書いたのかどうかは定かではないが。
 念のため両者の本の問題箇所を掲げておく。


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