過去受動分詞
past passive particlple
「〜された」「〜した」という意味の分詞。
作り方など詳しくは文法概説を
見てください。例外がいろいろあるので、結局は一つ一つ覚えるのが早道です。
その名の通り、他動詞から作られる場合は過去の受身の意味になりますが、
自動詞から作られる場合はただの過去になります。
ラテン語や英語では過去の分詞というとこの過去受動分詞しかないので、
単に過去分詞と呼ばれます。
そのせいか、サンスクリットの過去受動分詞も単に過去分詞といっちゃいます。
実はサンスクリットではこれとは別に「過去能動分詞」というのもあるから、
そういう略し方はいけないのかもしれませんが、
過去能動分詞はめったに出てこないので、単に過去分詞といえば過去受動分詞のこと、
ここでも以下、単に過去分詞といいます。
過去分詞には名詞を修飾する「〜された…」という用法もあるし、
例によって名詞そのもの「〜された人」などという意味にもなるのですが、
最大の用法は、過去動詞の代用に使っちゃうことでしょう。
この用法のおかげで、サンスクリットでは、動詞の複雑な変化を勉強してなくても、
過去受動分詞を使えば過去表現ができちゃうわけです。
だからゴンダ文法など伝統的な初等文法書では、
動詞の変化をずっと後回しにすることができます。
過去分詞を使った文章を集めて読解練習しちゃえばいいわけだから。
ヒンディー語では本来の動詞の過去形などはすべて廃れてしまい、
過去分詞を使った表現しかありません。
だから今、インドで学校でサンスクリットの会話練習をするときは、
過去分詞をみんな多用するらしいです。
なお、過去分詞はもともと「受動」です。自動詞ならいいのですが、
他動詞のときは受身文になるということです。
だから「私は手紙を書いた」を、過去分詞を使った文で書くと、
「私によって手紙は書かれた」としなければなりません。
だからサンスクリットでは「私」を具格、「手紙」を主格にします。
もちろん「書かれた」は「手紙」の性と数に一致するわけです。
ヒンディー語でも「私」のあとにはという後置詞を使い、
「書かれた」は「手紙」の性と数に一致させます。
ところがヒンディー語文法では、語形でなく意味を優先して、
「私」を主語、「手紙」を目的語と説明するので、
「他動詞の過去形は、主語でなく目的語の性と数に一致させねばならぬ」
という、初心者を驚かせ怖がらせる規則と化してしまうのですが、
それはもともと受身分なんだと考えれば、しごく当然のことといえます。