般若心経・大本(1/3)

※できる限り仏教専門用語訳を排して訳してみた。宗教・哲学的な意味はまったく考えていない。

一切を知った方に敬礼します

このように私は聞いた。
あるとき世尊は、ラージャグリハ(王舎城)のグリドラクータ山(霊鷲山)で、比丘(乞食行者)たちの大きな集団と、そして菩薩(求道者)たちの大きな集団とともに遊行していた。
まさにそのとき世尊は「深い悟り」という名の深い瞑想に入った。そしてその時に、摩訶薩(高潔の士)である聖なる観世音菩薩が深い智慧の彼岸の到達(般若波羅蜜多)において修行を実行しながら「5つの区分があり、そしてそれらを空虚である」と見極めた。
すると長老のシャーリプトラは、仏の力によって、聖なる観世音菩薩にこう言った。
「誰でも、有徳の男子で、深い智慧の彼岸の到達(般若波羅蜜多)において修行をしたいと思う人は、どのように教えられるべきか」
このように言われた摩訶薩である聖なる観世音菩薩は、長老であるシャーリプトラにこう言った。
「シャーリプトラよ、誰でも、有徳の男子あるいは有徳の女子であって、深い智慧の彼岸の到達(般若波羅蜜多)において修行をしたいと思う者は、このように見極めるべきである。
5つの区分があり、そしてそれらを空虚であるとみなした。形は空の状態であり、空の状態であるものこそ形である。空の状態をもつものは形と異ならず、形は空の状態をもつものと異ならない。形であるものが空の状態をもつものであり、空の状態をもつものが形である。知覚や知識や浄化の行や識別も、このように空の状態である」

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