〜〜〜 あるいは ホンダ文法 〜〜〜
Since 2005/4/10 Last Updated 2005/4/21
このほどやっとJ.ゴンダ『サンスクリット語初等文法』(以下「ゴンダ文法」)の選文をすべて読み終え、 リーディングのコーナーに掲載することができた。 当サイトがスタートした2004年2月以来、 ゴンダ文法の練習題の解答作成にとりかかり、 ついで選文の訳文作成にうつり、 1年2ヶ月かかってやっとすべて終えた。 他の仕事の片手間にやったのでそれだけ時間がかかったのだが、 ともあれ当サイトの歩みに一段落がつき、 これから新たな段階に入らねばと決意を新たにしている。 この作業でゴンダ文法は隅々まで読みつくしたことになるが、 その上で入門テキストとしてのゴンダ文法の感想をまとめてみたい。 ※隅々まで読みつくしたので誤植もいろいろ発見できた。傍目八目−諸参考書の間違いを参照。 ゴンダ文法は、 書名にkurze(英語ではconcise)と入っているとおり、 説明が非常に簡潔。 変化表だけでなく、 説明文を隅から隅まで熟読してはじめて必要な情報が得られるという具合である。 あまりに説明が簡潔だし、索引もないので、 引いて調べる文法書としては役不足。 辻文法などをそろえておかねばならない。 もっともゴンダ文法で勉強してきた人は、 「この情報ならここにある」というのを体で覚えてしまうので、 索引がなくても目当ての情報がぱっと探せるようになるだろうし、 レイアウトの違う他の参考書では違和感を感じるようになるだろうけどね。 ゴンダ文法の特徴は練習題が豊富なこと。 分量的には正味16ページ程度なのだが、問題数は353題。 サンスクリットの初等文法は基本的には変化表の羅列になるのだが、 変化表というのは頭の柔らかい子供ならともかく、 大人はなかなか覚えられないものである。 そこで、たくさん練習題をやらせ、何度も本文や変化表を参照させることで、 自然に覚えさせようというわけである。 だから授業は基本的に練習題の答え合わせだけですんでしまう。 答え合わせをしながら本文を解説していくのである。 大事な事項は往々にして変化表のような目立つ部分ではなく、 説明文の隅っこに慎ましやかに書いてあったりするので、 教師はそれを学生に確認させる。 こうすることによって、文法書を隅から隅まで読ませるしくみである。 ゴンダ文法は「問題集つき文法書」なのではなく、 実は「文法つき問題集」といえるのではないだろうか。 単に問題量が豊富だというだけでなく、 カリキュラムが実にうまく練られている。 たとえば最初の練習題1(ホントはローマ数字だが、 ローマ数字は読みにくいので以下すべて算用数字にする)は、 で終わる男性・中性名詞に関する事項しか問われていない。 次の練習題2はで終わる女性名詞のみ。 どちらも本文のページでいえば正味半ページである。 まず最初はゆっくりゆっくりと、1つ1つの事項を大切にしながら進んでいくわけだ。 各セクションには落とし穴的な問題もいくつかある。 たとえば練習題1なら20番。 という語尾が複数対格ではなく実は単数従格のサンディだった、というのがミソ。 たしかにひっかけだが、実はこの落とし穴は実際の文にけっこう多く登場する。 こういうのが随所にばらまかれているので気を抜くことができないし、 その分だけ読解力が増すというわけだ。 そしてだんだん進度が早くなり(3〜)、 たまに既習部分の復習も入り(6、11、18)、 重要なところではまたゆっくりになる(12〜14)。 こういう進度が実に心にくい。 そして大事なことは、すべての単元に関する問題がちゃんと網羅されていること。 たとえば往年の定番教科書、荻原雲来『実習梵語学』は、 動詞現在形のところまでしか演習問題がない。 もちろんゴンダ文法では動詞の変化はすべて扱っている。 もっとも意欲動詞や強意動詞に関する問題はわずかしかなく、 しかも強意動詞に関する練習題は分詞の形しか出てこなかった気がするが、 現実の出現頻度を反映していると思えばいいだろう。 練習題を終わると選文になる。 もっともゴンダ文法を現実の大学の授業で扱うと、 90〜100分1コマの場合、1年間で練習題を終えるのがせいいっぱいで、 次の選文は割愛されてしまうことが多いのではないだろうか。 この選文のカリキュラムもよくできている。 最初は散文、しかも短いヒトーパデーシャ。 だんだん少し長めの文章になってくる。 文法事項的にも、最初のほうではつまずきやすいサンディに関する註もついているというふうに、 復習の配慮がなされているし、 選文2では、ふだんなかなかお目にかからない両数がやたらと出てくるなど、 さまざまな配慮が見えてくる。 選文9以降は韻文になるが、 最初の9は分量的にも内容的にもけっこうハード。 すべての単語の意味と全部文法的機能はわかるのに、何を言ってるかよくわからない、 という箇所がうじゃうじゃある。 が、これは韻文に慣れてないせいであり、 これをすぎると比較的に楽なものになる。 教科書作りの経験からいうと、 最後にラクなものを与えて「オレはできるようになった」と自信をつけさせるという手はよく使うところであり、 これはゴンダの作戦なのかもしれない。 それから、初等文法だから割愛してもいいのだろうが、 仏典やヴェーダからの選文が1つずつほしかった。 註がいっぱいつけなきゃいけないかもしれないけど。 よくできた教科書、ゴンダ文法にも欠点はある。 「索引がない」「説明が簡潔すぎ」「仏典がない」というのはもう書いたし、 「訳文が悪文」というのはゴンダの責任ではない。 ゴンダ文法本来の内容上の問題として気づいた点を、以下あげておく。 しかし、以上あげた欠点は、欠点と呼べるほど深刻なものではないし、 そのぶんを教師が補ってあげればいいわけである。 あまりに完璧な教科書では教師の出番がなくなってしまう。 適度に不十分だというのも、ゴンダ文法が教科書としてふさわしい点なのかもしれない。 ゴンダ文法を終えたらそれぞれの目的に従って別の教材を使っていくことになるのだろう。 日本語版の「訳者序」で鎧先生が言っているように、 この先は辻文法+ランマンのリーダーをやればいいのかもしれないが、 できれば日本語で説明されたステップアップ参考書がほしいところである。 以下、ゴンダ文法を終えた私がほしい知識・技能・修練を書いておくので、 参考書の製作を企画している人は参考にしてほしい。 ところで、最近気づいたのだが、 ゴンダさんはオランダ人であるからには本当はホンダさんであろう。 オランダ語のgは発音記号でいう[x]、 いうならばハヒフヘホの発音になる。 ドイツ語のchはnach(ナッハ)とかnicht(ニヒト)とかdoch(ドッホ)とかbuch(ブッフ)とかいう発音になるが、まさにそれである。 もっとも本来はその有声音つまり[γ]らしいが、 現代では実質的に[x]になっている。 クラシックのお好きな方は、 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団というオーケストラをご存知だろうが、 コンセルトヘボウは concertgebouw である。 画家のゴッホも、本来はホッホと発音される。 というわけでゴンダさんは本来ホンダさんと表記すべきであり、 ゴンダ文法もホンダ文法ということになる。 実際、一部のサイトではホンダと表記している例がある (たとえばこちら)。 しかし日本ではもうゴンダという呼び方が慣用になっており、 ホンダと言ったらまず通じないだろう。 上記のホッホの件についてはこちらの「5.2 外国人名のカナ表記」も参照。 慣用として定着したものは、いまさらホッホとは書けないというわけである。 なお、そのすぐ下に書いてあるアンデルセン→アナセンの例も、 わがサイトには無関係ではない。 パーリ語の定番のリーダーの編者Andersenは、まさにアンデルセンと呼ばれているからだ。 なにしろ、 オランダ語ができるはずの(ゴンダ読本の巻末にオランダ語の献辞がある)弟子の鎧先生自身がゴンダと表記しているので、 ゴンダという読みに積極的な根拠があるのかもしれず、 とりあえずはゴンダと書いておくが、 一応その読みには疑問を提起しておこう。 |