[ウルドゥー語/ヒンディー語ページトピックス]

あいさつについて


 すでに死んでしまった古典語はともかくとして、現代に使われている言語を勉強するとき、まずはあいさつを覚えることからスタートするのが普通でしょう。しかし、ウルドゥー語/ヒンディー語に関しては、あいさつは一筋縄ではいきません。まず、次の点を確認してください。

  1. 宗教によってあいさつが違う
     よく、「ウルドゥー語とヒンディー語は基本的に同じ言語だが、あいさつは異なる。たとえば『こんにちは』は、ウルドゥー語では『アッサラーム・アレイクム』、ヒンディー語では『ナマステ』だ」などという説明を見かけます。
     しかし、この説明は間違っています。言語によってあいさつが異なるのではなく、宗教によってあいさつが異なるのです。
     よくヒンディー語の「こんにちは」といわれる『ナマステ』()は、ウルドゥー語の辞書にもという形で載っています。逆に、ウルドゥー語の「アッサラーム・アレイクム」は、ヒンディー語の辞書にはあまり載っていませんが、現実にはデーヴァナーガリー文字でとつづられることもあります(古賀勝郎・高橋明『ヒンディー語=日本語辞典』のような大きい辞書には載っています)。
     正しくは「イスラム教徒の『こんにちは』は『アッサラーム・アレイクム』、ヒンドゥー教徒の『こんにちは』は『ナマステ』」なのです。ウルドゥー語はイスラム教徒が、ヒンディー語はヒンドゥー教徒が使うことが多いので、擬似的には「ウルドゥー語では『アッサラーム〜』、ヒンディー語では『ナマステ』」と言えるのですが、もちろんウルドゥー語の文章の中にヒンドゥー教徒が登場してあいさつをすることだってあるわけで、だからウルドゥー語の文章の中に『ナマステ』が出てきてもちっともおかしくないのです。逆もまたしかりです。
     当サイトでも擬似的に「ウルドゥー語のあいさつは〜」などと書いている箇所があるかもしれませんが、言語による違いでなく宗教による違いなので、この点をしっかり確認してください。

     では、イスラム教徒でもヒンドゥー教徒でもない人はどうすればいいのかですが、多くの場合は相手に合わせて同じ表現を用いれば大丈夫です。しかしまれには「お前はイスラム教徒でもないのに、どうしてイスラム教徒のあいさつをするのか」といわれることもあるやに聞いております。
     もしそれが気になるようなら、あいさつ言葉だけはすべて英語にしてしまうという手があります。こうすればあなたは異教徒・よそ者として扱われますが、逆にこのような面倒なことに巻き込まれずにすみます。「異教徒は異教徒らしくしている」というのも賢い生き方なのです。


  2. あいさつの習慣は世界共通ではない
     ヨーロッパ人、特に英国人は、朝の散歩で見知らぬ人にも「グッド・モーニング」といい、ちょっと親切な行為を受けるとすぐに「サンキュー」というらしいですが、全世界のすべての民族がそうだというわけではありません。あいさつとしての特定の決まった表現がなくそのつど状況・場面に応じて表現を工夫する民族もあります。日本語だって「おはよう」「ありがとう」は英語の翻訳から定着したものであり、江戸時代まではまさに「特定の決まった表現がなく〜」という状況だったのではないでしょうか。さらには、「おはよう」「ありがとう」を言う習慣のない民族だってあるかもしれません。
     有名な話ですが、ヒンドゥー教徒は「ありがとう」を言う習慣がありません。一応という言葉があるのですが、これは英語のサンキューの訳語として無理にサンスクリット由来の言葉をあてはめたものであり、全く定着していません。これに対して、イスラム教徒のは、気軽に使われます。
     というより、イスラム教徒のあいさつにかける労力はなみなみならぬものがあります。なにしろコーラン4章86節に「誰かに丁寧に挨拶されたら、それよりもっと丁寧に挨拶し返すか、さもなくば、せめて同じ程の挨拶を返せ」(井筒俊彦訳)とあるほどで、決まり文句としてのあいさつでさえ、返事のときには表現が異なることが珍しくなく(例えば「アッサラーム・アレイクム」に対しては、「ワ・アレイクム・ッサラーム」)、決まり文句に頼らず、さまざまなレトリックを駆使してそのつどあいさつ言葉を「創作」することすら珍しくありません。
     このように、宗教によってあいさつの言葉が異なるばかりか、どういう状況でどういうあいさつをするかという習慣まで変わってきます。
     ですから単に「ありがとう」=とかとかいう語句の対応だけを覚えるのではなく、どういう状況でどういうあいさつがなされているのかを含めて覚える必要があります。
     とはいえこれは、言うは易く行うは難し。インドやパキスタンに行けばまだいいのでしょうが、なかなか旅行する機会に恵まれない人もいるでしょうし、たとえ旅行や留学の機会に恵まれたとしても、旅行者や留学生の目から見える部分はインドやパキスタンの複雑な社会の一面でしかなく、さまざまな状況を経験することは難しいものがあります。
     社会のさまざまな階層や場面や状況を経験するには、映画やドラマを見るのがいいでしょう。これならいろいろな場面が出てきます。もっとも映画やドラマはフィクション=作り物なので現実そのままではないというのと、インドの映画に出てくる人物はやたら富裕な人が多く、現実離れしているところがあることには注意すべきです。
●関連項目
こんにちは
さようなら


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